ぬかるんでた

「僕と」「君(美少女・笑)の」「想いが」「世界を」「ちょっとだけ」「変える」類のお話に心酔している事を隠すために理屈を捏造する他人を僕は僕らしいマチズモでもって嘲笑するけど、それはつまり反面で心情を理解しているということで、とても苦しい。というのも音楽や文章や絵画や映像など、大概の文化的表現は究極的にはそのようなテーマを扱っている事実を理解した上で、さらに遠回りさせながらでも心を惹かれる心象の回路を自覚しているからという意味でもそうだし、また、ときどき、理由は分からないけどそういった物語を強く欲し/衒いなく移入できる時間があって、心が引き裂かれるような痛みを感じるからだ。
そんな時ってのは、例えば、今。