いやぁっ! そっちの穴っ!! ちがっっ!!(みりみりっ)

みりみりっ、って当たり前のように、何だよな。ついつい笑みがこぼれてしまうのだが、、、けど、俺が知らないだけで本当にそういう音がするのかもしれない、、という可能性を残しておく事は重要かもしれない。
昨日まで今日がサンクリだと勘違いしていたせいで猛烈に暇になり、母親に背中を押される形で渋々行きはしたわけだが、、、まぁ俺の選択なんて行こうが行くまいが決まりきってるし、参加することに意味があるというなら責務は果たしたし、そのこと自体に異議を申し立てるつもりもないし、、、つーかマジどうでもいい! ほっといてくれよ! という不愉快な気持ちでいっぱいです。

サブカルチャー神話解体」を読んだ。なんだよこれ。つっつつつつまんねーー。
少し思ったのは、自分がある程度「語れる」(←イタい)分野に関する言説だから腹立つんだろうなーということで、主題は社会学的な面にあるのだと理解しようと努力はするのだが、受け入れられない。と同時に、逆説的にやっぱり俺ってオタじゃないッスよー、という安心を得られたようにも思いきや、、、
そもそも、包括的で大文字の「時代」を語られる時点で俺は拒否反応を起こしがちだ。無意味だとか、どうでもいいというのではなく、興味の外にいってしまう。俺は「誰が」「何に対して」「どう思っているか」を凄く知りたいのだと思う。だから(ttp://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/nikki0507.html)の9月7日分は、多分に諧謔と郷愁の念が含まれているのは否めないとはいえ、凄く意味があるように感じた。
前に、俺なんかが声高に自称するのは申し訳ないですと言っていたのは、こういった方々への謙遜という意味合いが強かったのだがね、、、でも、それも最近はどうでも良くなりつつある。そういうものじゃないのかもしれない。分らない。死ね、死のう、とかは思う。

眉根を寄せ、粘着性の高い唾液で満たされた口と血走った眼を大きく開き、このままでは般若のような顔になりかねないと自覚した時は、軽快なリズムに乗せて「お〜こらないでね〜おこらないで〜♪」と口ずさんでみる。その際、誰もが等しく可愛らしいセカイを想起しながら…途端、とても愉快な気持ちになる。

門島みた。

動物化するポストモダn」と「道徳の系譜」を買った。
この頃は、二回以上読み返すであろう本のみ買うよう心がけている。確か町田ひらくの漫画で、読むことのない本を所有し続けるのは虚しい、というような台詞が出てきたような気がする。そういう台詞を吐くには、少なくとも過去に熱狂的な収集とそれに見合う努力(勉強)をし、そして今現在の自分はその時期より進んだ自分であるという自負が必要な以上、以前のままであれ俺がそう言える日は一生涯こないのだろうが、それにしても、考え方として一つあるよなー、とか。
例えば、それほど規模の大きくない図書館に居てさえ、膨大な量の書物に新鮮な驚きを感じる瞬間がある。この中に俺が10回以上読み返す本はあるのだろうか、と考えてみると最悪な気持ちになる。そういった感覚は、CDや漫画に対して湧きはしない。ましてエロゲーやエロ同人になど、、、。自分の好きな本「だけ」が収納された、それ以上増えも減りもしない本棚を眺められる日が来たら幸せだろうな、と想像しながら吐き気を押さえる。

とはいえ「動物化するポストモダn」を読み返してみたら、初読時のような胸のきらめきを感じることが出来なかったので、上述の考え方に則して言えば、やはり俺は人間として間違った方向に走り続けていると考えざるをえず、、、。いや、まだだ。まだまだ、、、