「東京ガールズブラボー」(上)(下)を読めば、

確かにいいと思うし、それなりに感じ入りもする。といってそれは持続せず、広い意味での類似物と同じように瞬間的な感慨の記憶を残すだけだ。俺の今日一日の方がきっと死ぬほど意義深かった。漠然とした憤懣や寂寥を薄くまたは細く、広くまたは長く引き伸ばし続けること、そして無関心を装い続けることが、もしも今から無自覚的にできるのだとしたらロマンチックだが。
「終わりの始まりの時代の終わり」←最終話のタイトル(の一部)。これよかった! それと「無意識過剰」(巻末の対談自体は全体的に蛇足だと感じたが、、、
浅田、こないだちらっと見たけど全く分らなそうだった。不勉強なわけじゃない!取捨しなきゃしょうがないでしょう! という気持ちと、言い訳だな、、、という気持ちが交互にやってくるが、今日は前者の日なので特に卑屈な意味合いはない。多分そのはずだ。
これで自意識過剰と言われても何も感じずに済むようになるだろう)。一番感慨深いのは、こんなのが平然と100円で売られていることかもしれない。2010年代はきっと死ぬほどいい時代に違いない。