ブラストドーザー!

コメントを見てるとなんだか楽しげ、ですよねぇ、、、珍しくインターネットっていいものかもと思ってしまった。涙ぐみはしないまでも、温かい気持ちになった。なにせ実生活で屈辱的な疎外感を味わう出来事が頻発しているから、余計に、、、 ”耐震強度がどうのと言っても、都庁など社会的要人の過ごす建物は多分必要以上に頑丈なんだろうなぁ、、、ムカツク” 卑屈な精神がいつにも増して脈絡なく、不健康な想念を呼び起こす。 ”23歳大学生の塾講師が教え子の女児を刺殺、、、” とにかく、基本的に知人以外の他人は全員嫌いだ。何故なら向こうも俺を嫌っているに違いないから。


そんな鬱々とした気持ちを文字通り破壊し吹き飛ばしてくれるのが、(kazunaさんに教わった)「ブラストドーザー」だ。これは凄い、乗用車やブルドーザー、果ては巨大ロボットにまで至る様々な乗り物を操縦し、がむしゃらに走り回っていると辺り一帯が更地になっている、という本当に素晴らしいゲームだ。建造物破壊中の爽快感と後に残る遣る瀬なさ、そのコントラストが与えてくれる後ろ暗い悦楽は筆舌に尽くしがたい。しかも何故か住民に感謝され、その上現金まで貰えるので、ゲームとはいえ石油タンクを壊しまくるなんて道徳的に問題があるよ! と感じる良心的な人でも安心だ。
それにしても、この破壊への拘りはなんなのだろう? としばし考えてみる。それも建造物に対してのみ、なのである。個人的には何らかの動物、例えば牧場のステージで畜牛を轢き殺すなど出来た方が好みではあるのだが(勿論、その場合は狂牛病という設定なので人道的に何の問題もない)、だからこそ読み取れる主張もあるのではなかろうか。つまりこれは物質至上主義的社会に対する辛辣かつユーモラスな警鐘、では全然ないにせよ、ちょっとしたスナック菓子ほどの手頃な値段で叩き売られているソフトの現状までもを踏まえれば、一つのコンセプチュアルアートのように思えないこともない気がしないでもない。
無関心や無意思、そんな場所にしか芸術性なんて宿りやしない。

(残りプレイ予定ゲーム:「ドゥーム64」「バイオレンスキラー」「ゴールデンアイ」)