ミキティを想う気持ちは、人をより不幸に陥れるだけだ

学校へ向かう途次、ある駅にスポーツ用品メーカーか何かのでかい看板があり、その左半分には安藤美姫の写真がプリントされている。いや、私にとって言えば‘居る’といったほうが妥当かもしれない。大き目のジャージに身を包んで、こちらを(正確にはカメラを、だろうが)見つめて微笑する彼女は大変愛らしく、不愉快な通学時間にちょっとした希望のようなものを与えてくれるからだ。その事実に気付いてから、電車が停車した際に看板が最も良い角度で見える車両、場所を割り出す少々の努力の末、通勤ラッシュ等でどんなに混雑していようとその場所に乗り込むささやかな使命を自分に課した。そうした言わば純然な行為は決してうまくいっているとは言いがたい私たちの実際の生活とは別物で、大げさにいって背徳的ながら、不思議と心地よい倦怠が私を満たすのだった。


ガチャガチャと不可解な物音で目を覚ます。そんな日も決して少なくない。この頃は間隔が狭まってきているようにさえ思う。誰もがそうであるように、寝ぼけ眼の私も勿論不審に思うのだったが、そんな疑惑が消え去るのはさっと早く、あたかもお座なりな日課、例えば小学生にとっての宿題のような、望まないながらも左程困難でない義務に立ち向かう気持ちにさっと切り替える。持ち前の努力家気質を発揮して自身を律する、私の役割はそれで十分なのだから。
ベットから起き出し1階のリビングへ行くと、彼女は花瓶や食器など様々な陶器を叩き割っていた。それもヒステリー患者の激昂を伴ってではなく、淡々と無言で特に感情を込める風でもなく。廊下とリビングを隔てるドアの開閉音によって私がここにやって来ている事には間違いなく気付いているのに全く意に介さず、いわゆる完全無視で、不規則なビートを生み出そうと苦慮する前衛芸術家さながらに、黙々と作業に没頭している。また、その行為は、故障したオートメーションの工場機器を思わせもした。
こんな時の彼女に何を言っても無駄だ。だから私も無言で、その場に立ち尽くすしかなかった。すると彼女は流れるように、まさに一連の動作といった感じで、ご丁寧にも抜き身のまま傍らに置いてあった小刀を手に取り、私に向かって突き出した。
「ぎゃあ!」
脇腹を突如襲った鋭い痛みが激しく全身を駆け巡り、思わず倒れこむ。その際、あたりに散乱した陶器の破片、その中でも特に大きかったり鋭く尖ったものを避けて倒れこむよう、素早く違和感なく見極める。そして、ジタバタと転げまわる。唾液を中心とした体液種々を汚らしく撒き散らしながら。我ながら少々滑稽だと、恥ずかしさを感じるぐらいでちょうどいい。場合によっては度を越している方が良いこともあるだろうし。それでも間が持たないような予感がしたら「うー」とか「あー」とか呻け。甲高い声では駄目で、むしろ説得力を持たせる低音の奇声を当然のように大声であげろ。空間を音で満たす根源的な不可能性に真っ向から挑戦するべきだ。お望みとあらばこれは愛なのだと、間違った確信に陶酔しろ。虫取りに興じる幼児の純真さで無理やり思い込め。で、その間も勝手に流れ出している血液に関して言えば、なるべく放っておくのが良いだろう。そうすれば、次第に陰気な血だまりがゆっくりと増殖するアメーバのように、小さな抽象画を描き出すから。少々物足りないかな? と感じるようであれば、ばたつかせる以外に別段やる事のない手持ち無沙汰の両手を使って、体からやや離れた場所に墨絵の要領で血を擦りつけろ。やりすぎには注意。いわゆる統合性を重視しながらあくまでも添え物、オプションとして付け加えるに過ぎないとはっきり自覚して、なるべくショッキングな状況を作り出すよう心掛けろ。そうこうしているうちに、自分で自分に何の疑問をさしはさむ余地もなくなり意識が朦朧。視界も端から徐々にぼやけてきて、次第に志向される全て、そして目にうつる全てがあたかも高速で目の前を通り過ぎる光彩の漠然とした混濁にすぎなく思えてくる。こうなればしめたもので、ゆくゆくは本来この場所を満たすべき静寂を取り戻すタイミングも自然と見極められるだろう。
「目障りなんだよ・・・薄汚い豚野郎・・・」
おぞましい舞踏に興じる私に向けて放たれた、まるで感情の篭もっていない呟くような声。ちらと見やれば、体をこちらに向けてさえいない。いかにも、つい今まで壁に貼られたどこか外国の風景か何かの印刷されたポストカードを眺めていました、とでも言わんばかりのあらぬ方向を向いた姿勢で、視線だけをこちらに落としている。軽侮がありありと読み取れる、不遜な態度。全く感情の起伏の窺えない表情。それから、グズリと鼻を鳴らす。一瞬だけ眉間による皺がとても美しい、彼女。
「練習、行かなきゃ・・・」


私にとって、何か意味のあるこれ以上の関係があろうか? 疑問に対する答えは、今の所見つかっていない。私にとっては望む全てが無意味で、無根拠で、下らない退屈な出来事にすぎなかったし、しかも厄介なことにそれで十分に満足なはずだった。誰かに望むことがそのまま誰かの望むこと、そんなシンプルな関係は劣悪な私にとって未知の、有り体にいって感動的な出来事なのかもしれない。
互いに互いを尊重し必要としあう、そんな青臭い理念に身を委ねられる機会は、実際の所彼女との関係の中にしか見出せなかった。それが忌々しい虚偽であろうとも。
フィクションは肉体を傷つけない。相手であれば肉体的にも精神的にも痛めつけることは可能だが、こと私(そしてたくさんの私たち)に関して言えば無理だ。だから徹底的に精神を狙う。肉体が無理なぶん精神は自由に痛めつけてよい、との勝手な規則に基づき、これで罪悪感を抱かないヤツは畜生以下だ! との横柄な圧力で、ついでに金銭を要求する。そんなやり口には、とてもじゃないが賛成できない。まるで無法者の理屈と一緒じゃないか、とさえ思う。だから私は断固拒否したい。かといって、何か別の方法が具体的に思い浮かぶようなマジックは、20数年生きてきて起こる予感さえしない。私は、私にとってさえ不毛な何か安逸に、全力で没入できるものならしてみたいと常日頃考えている。そうに違いない。窓ガラスに反射する私の顔はいつだって醜悪で滑稽で・・・そんな楽しげな自己憐憫さえ最早わずらわしいのだ。


無意味なパフォーマンスへの没入をやめる。しばらくごそごそと身支度を整えているであろう物音、次いで玄関ドアを開閉する音、それに鍵の閉められる音がしたからだ。しばらく、頭で数える限り5分前後ぐらいは念の為じっとしている。それからおもむろに起き上がり、状況を確認する。
実際の所、それが彼女の意図に沿う形なのかは分からないが、いつも決まって私の傷は深くはなかった。傷跡が残るようなことがあっても、後々まで生活に甚大な不都合を生じさせるようなことは全くなかった。だからこそ私には過剰な振る舞いが必要で、つまりこの一連の行為は私にとっていささか過剰な遊戯にすぎず、そしてそれは恐らく彼女にとっても同様なのだろうと予想できた。私達の関係、信頼、、、いわば愚かしい紐帯は、このようにしてしか確認されえないものだったのだ。
傷口を手の平で押さえながら、救急箱から絆創膏─あらかじめ用意しておいた通常より大判のものを取り出し、傷口に貼る。軽く伸びをして、辺りに散乱した陶器片や汚れを素早く手際よく掃除する。それから赤黒く変色した絆創膏を剥がして出血が止まっているのを確認し、一応、もう一度新しいものに張り替える。そして、手早くシャワーを浴びる。
着替えてから、予めセットしておいたコーヒーを飲みながら、軽い朝食(たいていは彼女がちょっとしたメッセージと共に作り置きしておいたもの)を食べる。それからしばらくテレビを見たり、新聞を読んだりしながら今日一日をどう過ごすかと思案する。このようにして、私の一日はまたはじまるのだった。