そんなに汚れ・雑音、無駄や間違いが嫌なのか? と思う。まぁ個人の嗜好だからそれ自体は別に構わないけど、他の考え方の人達を阻害したり憎しみあったりするために曖昧な徒党を組んでるようなのは、しかも無意識的にだから余計に救いがない。もし本気で洗練と効率が大好きなんだったらさっさと人里離れた山中などで死ねばいいとさえ思うのだ。そして美しい、草花の養分にでもなればいい。

期待してたのに・・・

エレクトリック・プルーンズのファースト。まぁいいかなと思う感じだ。


以前からその兆候はあったが、このところ益々下らなく狂おしいクソみたいな事柄しか受け入れられなくなってきている。
傍から見ている分にはダラダラして適当だと思われようが、実際には精神的に大変辛い。主に自分がいかに醜悪で矮小で愚鈍な人間であるか、について嫌でも考えてしまう局面が多々あり、それと並行して身の回りで起こる事柄なんかにイライラしたり悲しくなったりと絶え間ない。一人になったらなったで暗い考えばかりが頭に浮かんできてしまって、わざわざ自分から進んで気を滅入らせてしまうばかりだ。かといって、安易な自己憐憫に浸るような真似は(まぁ今までは結構あったけど)嫌だし、そもそもそんなことが出来る無垢さは残念ながら持ち合わせていないのだった。なにせ愚鈍ですから・・・・。
勿論、人間とはそういうものだし、なおも社会生活を送っていかなければならないのだから、程度の差こそあれ誰でも何かしら悩んでいるのだと無理に納得はできる。そして、頑張っていこうと強く思える健康さもある。その為には常に気を張り続けていると本格的によくないことが起こりそうだし、せめて一人でいるときぐらい何かに没入して思考停止していたいのだ。そこで、ガレージやパンクばかり聴いているのだが、「2500円も出したのにこんな内容かよ! (まぁ予期してましたけど)」みたいな展開も含めて大変楽しい。
エレクトリック・プルーンズといえばB級の中ではA級みたいな微妙な位置づけのグループだが、所謂その筋では傑作とする記述をたびたび見かけてきた気がするので普通に期待していたのに・・・。確かに、(こちらは英国勢だが)ソロウズに通じる陰影に富んだ音像や、色々なエフェクターを使って(ると思われる)色々なジージーいう音なんかは興味深かった。曲によっては凄くいいと思えるものがあったのも事実だ。
しかし全体的にトロいというか・・・メロウだったり、無理にホーンとか入れて幻想感を狙っているのに空回りして逆に牧歌的な展開には、「これならチャド&ジェレミーでも聴いていた方がいいのでは?」と思わなくもないのだ。誤解ないよう付け加えておくと、チャド&ジェレミーが駄目だという訳では決してない。それどころかむしろ好きなグループで、「THE ARK」は本当に素晴らしいサイケ気味フォークポップの傑作だと思っているが・・・。
悪ぶってるのに徹底していない中途半端さが嫌、なのかも。いや、そうした中途半端さをこそ楽しむジャンルである側面は頭で理解してはいるのだが・・・現実に楽しむには、何せ精神的に狭量な人間なのでそんな余裕はなく、どんなに努力しても不可能だ。もう本当、リッターとかソニックスみたいなクソみたいなのがいっぱい聴きたい。これは最早クラストコアなどに走るべきなのかとさえ思わないでもない・・・いや、今聴き返してみているのだがやっぱりこれ、まぁまぁいいのかな・・

生きるの

我々はみうなを忘れていた! この取り返しのつかない過誤に気付いてしばらくは、自分の無能さを責めざるをえなかった。
しかし本当に? 本当に取り返しがつかない、と言い切れるのだろうか。
自問自答してみて直ぐに言い切れると判断して、納得した。やっぱり、過ぎ去った出来事はもうどうしようもないのだった。でも、それにしたって俺は生きている(そしてみうなも!)。である以上、過去に犯した過ちより未来の希望を追うべきでは? そこでこれからは貪欲にみうな(とカントリー)に関する情報を死に物狂いで追っていこうと決意。

唐箕さんと私

俺は満足したが、実際の所どうだったのだろうか。例によって本当は死ぬほどそんなに期待していたわけでもないので、想像以上によかったじゃん、もし他人に積極的な反論を受けるようなことがあっても無言で一瞥して通り過ぎる感じとでも言おうか。
正直に言うと、色白だけど頬の赤い女性が好きなのだった・・・と思い出した。それに笑顔が不自然な感じとか。あと背がでかくて、全体的に歪な体型の人・・・幼児期に義父に受けた虐待・・・クラスメイトからの陰湿ないじめ・・・知恵遅れの男と少女の純愛・・・私と、・・・白痴じみた笑み、・・・君・・・。救いたいとか、救うことによって救われたいとか、本当に救われるのがどちらか分からないような何か(愛か?)について常日頃から考えているせいで、他人の振る舞いに対して不必要な懐疑心を持ってしまったり逆にはしゃいでしまったりする場面が大変多く、そういった出来事が後になって顧みると気を滅入らせるのだが、かといって内省したり他人や運命を呪ったりするような健やかさもないので、嫌なことはいっぱいあるけど楽しい時も少しはあるのでまぁそれなりにいいかなと思う、いわゆるノンビリ屋だ。そして凄く愛されたがっている。
突然前触れもなく出てきた新米男看護士のエピソードは当然ながら、飲み会や日常生活の場面で嫌な感じを受けてしまった感じは確かにあった。普通じゃん、と。でもそれはそれで別に・・・ここでまた正直に言うと、普通な感じのOL等の日常を具体的に知りたいみたいな気持ちが俺には結構あるのだった。付け回したいとか覗きたいとは勿論全く思わないが、単純に知りたい。本人からじゃない伝聞の形で、知りたい。先日また、ただ歩いてるだけなのに警官に尋問された・・・


心からTVに望むことといえば水着で縄跳びしたりとか、体の本来の使用目的とは違う部位に取り付けた万歩計をがむしゃらに振る企画で、ひたすら凝視して思考停止したい。で、最近はそういう番組も少ない(ような気がする)から仕方なくパンをこねる月野を凝視してます。夕食どきに。舐め回すように。

堀江ふざけんな!

‘おい! ちょっとこれ・・・んもう!‘
正直言って勿論、政治に関心が全くない。そのせいか法律や経済、歴史なんかにも興味がない。特に関係ないけどついでに言うと、数学や論理やらにも興味がない。所詮無能で空想と現実の区別がつかない犯罪者予備軍の危険分子だし、外貌は当然として内面も醜悪だから居るだけで他人に不快感を与えてしまうのは仕方ないにしても、なるべくその程度を小さくするよう前向きに努力しているつもり。下らない個人的で退屈な物事に盲目的な没入を促し、些細な喜びを感じながら生きている俺だった。
数日前から楽しみにしていて、わざわざ積極的に録画までしていたテレビ番組が奴の逮捕のせいで急遽差し替えられていたのだ。その番組とは「アンテナ22」で、「アンテナ22」とは、よく分からないけど倖田來未が出た時とかに何度か見た限り(余談だが俺は彼女を絶対的に支持している)、トレンドを紹介しつつ若者を応援する趣旨のちょっとしたドキュメンタリーっぽい番組なのだろう。一回完結で、毎回扱う内容が変わる。で、昨日は「新米ナース奮闘記」みたいのを放送予定していたのだが、その新米ナースってのが(CMで見た限り)大変可愛らしいお嬢ちゃんだったので楽しみにしていたのに・・・
本当、見るからにまともな家庭で様々な形の愛を受けて育った感じの、多分まともな恋愛とかまともな挫折をしながら真っ直ぐにそだった感じの、しかも可憐な感じの女性だった。誰しも思わず応援したくなってしまうような彼女。そんな彼女がナースになった。「少しでも多くの人の命を救いたい!」という強い信念から。もしかしたら、幼い頃の体験─可愛がっていたペットの死とか、大好きだったお婆ちゃんの死とかが彼女にそう決心させたのかもしれない。しかしそうでなくとも、彼女は自分と同等に他人を思いやれる素晴らしい人格の持ち主で、しかも努力家なのだ。
言うまでもなく医療の現場には大変な出来事がたくさんある。何せ死と隣り合わせの世界なのだ。さしもの彼女も挫けそうになる。自己嫌悪と終わりなき自問自答が続く暗黒の日々・・・離れていくばかりに感じられる夢と現実の距離・・・しかし人一倍頑張りやさんの彼女は、周囲のこれまたまともに温かい人々に助けられたりなどしつつ困難を乗り越え、ナースとして、何より人間として着実な一歩を踏み出してゆくのだ。素晴らしい・・・ま、全体的に想像なんですけど。
彼女自身も周囲の期待に応えるだけの様々な要素をちゃんと持っていて、というのがまた感動的じゃないか! やっぱり、同じことをしていてもゴリラとかブタとかチンパンジーだったら、「はぁ、頑張っていて素晴らしいですね」ぐらいしか感じられず、特に精神に変化が起こるような自体には発展しないはずだ。更に言えば、頑張っていれば頑張っているほど「ルサンチマンですか?」みたいな個人的で卑屈な憎しみが留まること無く湧いてくるばかりだろう(それはそれでいつも通りだが)。
だからといって、彼女が容貌美麗だから素晴らしいとか言いたいわけじゃなくて、色々と主に運に恵まれているような人は何か人によい方向への変革をもたらすような点も含めてやっぱり運がいいと言えるし、そういった意味では人としてかなり劣悪な俺はかなり優れた人が見たいし、また俺だってそりゃ見て勇気づけられるとは言わないまでも何か感じ入って日々にやり甲斐を求めはじめられるような機会を、まぁ一瞬でもいいから望んでいるし。だからメイド宣言やらみたいなマヤカシじゃない本物の、真摯な思いやりを目撃できると確信し期待していたのに・・・
この誰に何に対してか分からない(強いて言えば逮捕された3人)怒りや悲しみの入り混じった虚脱感のようなものに捕らわれないためには、‘後でちゃんと放映し直してくれますように・・・‘とただひたすら願いながら日々を過ごしやるしか方法はない。