新年度

春は別れの季節であり、旅立ちの季節であり、また新たな出会いの季節である。と言われている。本当に?果たして? そう考えてしまうからには疑念と得心とを相抱きながら、意外と重要な岐路に立っている気がする僕22歳(人生の目標は結婚)。
いよいよと言うべきか、スクランのアニメの第二期がちょうど一時間程ではじまる。深夜帯に移ったことによって妙に媚びた内容になるのではないか、小倉優子がよかったからといって主題歌が時東というのは冒険しすぎではないか、天満ちゃんの出番がますます減っているのでは、、、不安は尽きない。極端な話、主人公が八雲へと設定が変更される可能性さえ全くないとは言い切れないのだ、、、。
今後数ヶ月の精神面全体を左右する、と言って過言でない出来如何を心配しながら、何故だか分からない重圧と緊張に吐き気がしてきそう、、、頼むよ、マジで。

映画みたいな素敵な恋を・・・

東京ラブシネマ」を再放送で観ているのだが、これが本気で泣けてくるぐらい素晴らしい。特に臍だし・ミニスカ姿の伊東美咲が・・・。こんなコだって早く知ってたら、今ほど歪んだ憎しみも抱かずに済んでいただろうに。はっきり言って白石なんかより断然注目に値しますから! 本当、事前に誰かに伝えておいて欲しかった。
ギャル幻想みたいなのって誰にでもあって、特に内向的な人ほどその度合いが強いものだと思っていたのだが、決してそんなことはないと最近知って、驚いた。むしろ、色々な人に話を聞く限り俺だけなのか? という気がしてきて心細い。ゆうこりんと熊田耀子に同時に言い寄られたら(この発想からしてどうかしてる!)、誰もがとは言わないまでもオタっぽい人は絶対に熊田を選ぶものだと思っていたのに・・・。
誤解を恐れずに言えば、後腐れのない精神的に楽なセックスにただならぬ関心があるのだ。名前も知らずに別れていく感じ、とでもいうか。端的に南Q太的な世界観か?そう考えると嫌な気もしてくるものの、言うまでもなく残念ながらそんな機会にはこれまで一度もめぐり合わなかったし、今後もありそうな予感さえしない。
やっぱりサーファーとかみたいな価値観に凄い憧れがあるから、でもなれないしなりたくもないし、かと言って真剣に勉強や努力などして自分で納得の出来る自分になれるようなことがあっても、はっきり何かを選び取るのって尊大という意味で結果としては同じように思えてしまう。で、どうしようもなくて、下らないことに凄い悩んだりしていい事は何もない。俺もイルカを助けたりしたいものだが・・・。
そんなわけで、元モーニング娘。である矢口真里さんが出ている「銭湯の娘」も本当に素晴らしい、と思う。設定が設定だけに入浴シーンがやたらあるというだけではなく(最近は少ない気がするが)、この際例のスキャンダルについては置いておくとしても、見た目が派手っぽいのに実は真面目で頑張り屋さんみたいな所に惹かれる。背の低い大人というのもいい・・・。


こうしてみると昼間から薄暗い部屋でテレビばかり見てるような感じだか、決してそんなことはない。


しかしまぁ、「西遊記」は見た・・・これは単に確認したいことがあったからで、人には揶揄の類もヘラヘラ笑いながら言うくせに自己嫌悪の強い私なのであるが、過度な繊細さ(ジュリアンコープみたいなw)も特にないので構わないのだった。そして22時代については、スマスマに倖田來未が出ていて、アンテナ22にエビちゃん(とか)が出ていたので、どちらを見たらいいのかとても悩んで、結局無難にザッピングしていた・・・。俺をはじめ恐らくファン層が被っているであろう面子を同時間に放送する配慮のなさには抗議したい気持ちもあるが、商業ってそういうものか? そういえばヘイヘイヘイに倖田來未が出ると新聞には大々的に書いてあったのに、実際にはちょっとしたコメントだけだったので大変ガッカリした・・・


いや、虚ろな瞳でテレビばかり見ているわけでは全然ないのだ・・・散髪にいったらリアル引き篭りっぽい感じの人(40歳ぐらい)がお母さんと、刈り上げる刈り上げないでマジ喧嘩しているのを見たりはした・・・

ミキティスマイル!

tsujino2006-03-04

「下手に取り繕おうと努力しているのが窺えて、それがまた不快感を煽る・・・。いいこと教えてあげる。そういうのって何というか、雰囲気や匂いのようなものだからどうしようもないのよ。よく分かるわ、あなたが寂しいという事は。そうでなければこんな所に来ないものね・・・。ねぇ、ここで一つ提案があるの。私とあなた、双方が満足できる素晴らしい案なんだけど、どうかしら? というのも、今からあなたにプレゼントをあげたいと思ってるの。勿論、汚らわしい下心なんて一切抜きで・・・。はいこれ、切符。宗谷岬までの。勿論、片道分よ・・・。」
といったような内容の発言も、それとなく婉曲にメイド様に言われると(「ご奉仕するですっっ☆」)素直に納得できるから、不思議だ。

幸運にもミキティに笑顔は似合わない

無骨な男が背負う哀愁的なものと並んで俺の大嫌いな、若者らしい刺々しくもピュアな苛立ちが周囲に漂っていた。そうした状況を分かりやすく丁寧に説明してくれた。だから良かった。私は安心して、心の隅に密かな不快感を認めるのだった。

今日買ったもの。ケーブル類、ZIPディスク、同人数冊、小説数冊、CD数枚。

そう言えば、詩人的な厳密に選び抜かれた簡素さにも反吐が出そう。やつら、適度に謙遜するのが気に食わない。仕舞いには憐憫誘って感情移入って、最悪でしょう。ありもしない傷口舐めあってて見苦しい。ついでに、やっぱり小奇麗に洗練された感じも・・・資生堂のCMに出てるような輩は問答無用で全員嫌いだ。あの、ウンコとかしないでもないけどツルツルの卵型ですと言わんばかりの態度! 病むに病まれぬ性欲に悩まされた経験なんてありませんと言わんばかりの、あの態度だ(実際にないのかもしれないが、、、)。自然派志向も、それなら地震とか洪水とかに対策するなと言いたい。極端な話、出来ることからこつこつと積極的に身投げして欲しい、、、


さて、一方私はといえば隙あらば背後から刺してやろうみたいな気持ち(ダムド?)は少しもなく、単純に歩きまわり疲れ、指に食い込むことによって存在感をアピールする荷物類にも耐え切れなくなってきたので帰路につき、駅前に到着した所だった。そこには驚くべきことにメイド様が何故かたくさんいた。どこかのメイドカフェの呼び込みか何かだろうか? 駅前広場の一角で路上撮影買会みたいのが開催されていたのだ。違和感のない異次元が突如眼前に現れた感じ。撮影を求める一人一人に笑顔で対応し、愛らしいポーズをとる彼女達、、、私は胸が締め付けられて、泣きそうになった。憤りからでなく、皮肉にでもなく。純粋に彼女たちはなんと可愛らしく、笑顔が輝いていて、人として魅力的で、対して俺は醜悪で矮小なのだろう、、、との一点に依って。勿論、ご主人様本をホクホク顔で購入した直後だっただけに、足早にその場を俯きがちに通り過ぎるしかなかった。


ともあれ、俺の完全☆アンチメイド宣言は、半年経たずして早くも撤回されそうな状況である。「あんなセルアウトした場所にはいかねぇ」と豪語していた私だったのに、、、あ! 安藤ミキティがメイド服着てたら盛り上がらねぇ? 性的関心を大いに刺激されね? 今ちょっと考えてみて!



ね!

ミキティを想う気持ちは、人をより不幸に陥れるだけだ

学校へ向かう途次、ある駅にスポーツ用品メーカーか何かのでかい看板があり、その左半分には安藤美姫の写真がプリントされている。いや、私にとって言えば‘居る’といったほうが妥当かもしれない。大き目のジャージに身を包んで、こちらを(正確にはカメラを、だろうが)見つめて微笑する彼女は大変愛らしく、不愉快な通学時間にちょっとした希望のようなものを与えてくれるからだ。その事実に気付いてから、電車が停車した際に看板が最も良い角度で見える車両、場所を割り出す少々の努力の末、通勤ラッシュ等でどんなに混雑していようとその場所に乗り込むささやかな使命を自分に課した。そうした言わば純然な行為は決してうまくいっているとは言いがたい私たちの実際の生活とは別物で、大げさにいって背徳的ながら、不思議と心地よい倦怠が私を満たすのだった。


ガチャガチャと不可解な物音で目を覚ます。そんな日も決して少なくない。この頃は間隔が狭まってきているようにさえ思う。誰もがそうであるように、寝ぼけ眼の私も勿論不審に思うのだったが、そんな疑惑が消え去るのはさっと早く、あたかもお座なりな日課、例えば小学生にとっての宿題のような、望まないながらも左程困難でない義務に立ち向かう気持ちにさっと切り替える。持ち前の努力家気質を発揮して自身を律する、私の役割はそれで十分なのだから。
ベットから起き出し1階のリビングへ行くと、彼女は花瓶や食器など様々な陶器を叩き割っていた。それもヒステリー患者の激昂を伴ってではなく、淡々と無言で特に感情を込める風でもなく。廊下とリビングを隔てるドアの開閉音によって私がここにやって来ている事には間違いなく気付いているのに全く意に介さず、いわゆる完全無視で、不規則なビートを生み出そうと苦慮する前衛芸術家さながらに、黙々と作業に没頭している。また、その行為は、故障したオートメーションの工場機器を思わせもした。
こんな時の彼女に何を言っても無駄だ。だから私も無言で、その場に立ち尽くすしかなかった。すると彼女は流れるように、まさに一連の動作といった感じで、ご丁寧にも抜き身のまま傍らに置いてあった小刀を手に取り、私に向かって突き出した。
「ぎゃあ!」
脇腹を突如襲った鋭い痛みが激しく全身を駆け巡り、思わず倒れこむ。その際、あたりに散乱した陶器の破片、その中でも特に大きかったり鋭く尖ったものを避けて倒れこむよう、素早く違和感なく見極める。そして、ジタバタと転げまわる。唾液を中心とした体液種々を汚らしく撒き散らしながら。我ながら少々滑稽だと、恥ずかしさを感じるぐらいでちょうどいい。場合によっては度を越している方が良いこともあるだろうし。それでも間が持たないような予感がしたら「うー」とか「あー」とか呻け。甲高い声では駄目で、むしろ説得力を持たせる低音の奇声を当然のように大声であげろ。空間を音で満たす根源的な不可能性に真っ向から挑戦するべきだ。お望みとあらばこれは愛なのだと、間違った確信に陶酔しろ。虫取りに興じる幼児の純真さで無理やり思い込め。で、その間も勝手に流れ出している血液に関して言えば、なるべく放っておくのが良いだろう。そうすれば、次第に陰気な血だまりがゆっくりと増殖するアメーバのように、小さな抽象画を描き出すから。少々物足りないかな? と感じるようであれば、ばたつかせる以外に別段やる事のない手持ち無沙汰の両手を使って、体からやや離れた場所に墨絵の要領で血を擦りつけろ。やりすぎには注意。いわゆる統合性を重視しながらあくまでも添え物、オプションとして付け加えるに過ぎないとはっきり自覚して、なるべくショッキングな状況を作り出すよう心掛けろ。そうこうしているうちに、自分で自分に何の疑問をさしはさむ余地もなくなり意識が朦朧。視界も端から徐々にぼやけてきて、次第に志向される全て、そして目にうつる全てがあたかも高速で目の前を通り過ぎる光彩の漠然とした混濁にすぎなく思えてくる。こうなればしめたもので、ゆくゆくは本来この場所を満たすべき静寂を取り戻すタイミングも自然と見極められるだろう。
「目障りなんだよ・・・薄汚い豚野郎・・・」
おぞましい舞踏に興じる私に向けて放たれた、まるで感情の篭もっていない呟くような声。ちらと見やれば、体をこちらに向けてさえいない。いかにも、つい今まで壁に貼られたどこか外国の風景か何かの印刷されたポストカードを眺めていました、とでも言わんばかりのあらぬ方向を向いた姿勢で、視線だけをこちらに落としている。軽侮がありありと読み取れる、不遜な態度。全く感情の起伏の窺えない表情。それから、グズリと鼻を鳴らす。一瞬だけ眉間による皺がとても美しい、彼女。
「練習、行かなきゃ・・・」


私にとって、何か意味のあるこれ以上の関係があろうか? 疑問に対する答えは、今の所見つかっていない。私にとっては望む全てが無意味で、無根拠で、下らない退屈な出来事にすぎなかったし、しかも厄介なことにそれで十分に満足なはずだった。誰かに望むことがそのまま誰かの望むこと、そんなシンプルな関係は劣悪な私にとって未知の、有り体にいって感動的な出来事なのかもしれない。
互いに互いを尊重し必要としあう、そんな青臭い理念に身を委ねられる機会は、実際の所彼女との関係の中にしか見出せなかった。それが忌々しい虚偽であろうとも。
フィクションは肉体を傷つけない。相手であれば肉体的にも精神的にも痛めつけることは可能だが、こと私(そしてたくさんの私たち)に関して言えば無理だ。だから徹底的に精神を狙う。肉体が無理なぶん精神は自由に痛めつけてよい、との勝手な規則に基づき、これで罪悪感を抱かないヤツは畜生以下だ! との横柄な圧力で、ついでに金銭を要求する。そんなやり口には、とてもじゃないが賛成できない。まるで無法者の理屈と一緒じゃないか、とさえ思う。だから私は断固拒否したい。かといって、何か別の方法が具体的に思い浮かぶようなマジックは、20数年生きてきて起こる予感さえしない。私は、私にとってさえ不毛な何か安逸に、全力で没入できるものならしてみたいと常日頃考えている。そうに違いない。窓ガラスに反射する私の顔はいつだって醜悪で滑稽で・・・そんな楽しげな自己憐憫さえ最早わずらわしいのだ。


無意味なパフォーマンスへの没入をやめる。しばらくごそごそと身支度を整えているであろう物音、次いで玄関ドアを開閉する音、それに鍵の閉められる音がしたからだ。しばらく、頭で数える限り5分前後ぐらいは念の為じっとしている。それからおもむろに起き上がり、状況を確認する。
実際の所、それが彼女の意図に沿う形なのかは分からないが、いつも決まって私の傷は深くはなかった。傷跡が残るようなことがあっても、後々まで生活に甚大な不都合を生じさせるようなことは全くなかった。だからこそ私には過剰な振る舞いが必要で、つまりこの一連の行為は私にとっていささか過剰な遊戯にすぎず、そしてそれは恐らく彼女にとっても同様なのだろうと予想できた。私達の関係、信頼、、、いわば愚かしい紐帯は、このようにしてしか確認されえないものだったのだ。
傷口を手の平で押さえながら、救急箱から絆創膏─あらかじめ用意しておいた通常より大判のものを取り出し、傷口に貼る。軽く伸びをして、辺りに散乱した陶器片や汚れを素早く手際よく掃除する。それから赤黒く変色した絆創膏を剥がして出血が止まっているのを確認し、一応、もう一度新しいものに張り替える。そして、手早くシャワーを浴びる。
着替えてから、予めセットしておいたコーヒーを飲みながら、軽い朝食(たいていは彼女がちょっとしたメッセージと共に作り置きしておいたもの)を食べる。それからしばらくテレビを見たり、新聞を読んだりしながら今日一日をどう過ごすかと思案する。このようにして、私の一日はまたはじまるのだった。

ハーパースと私

  • (音)実際の所、単にひとつの判断に則しているにすぎない所謂音楽的完成度に関して言えば、ある種の理論に還元できる方法だと考えている。その優劣に関しては何とも言えない、というか理論を理解しながら理解しない、もしくは理解せずに理解している、という状態が個人の内で現実的に不可能である以上、正確には誰にも言えないのがまた厄介なのだろう。無理に言えば「感傷」と呼ばれるような気持ちを促す何かがその正体がなのでは、と漠然と考える俺は勿論理解できない組に属するわけだが、かと言って安易に価値観を転倒する態度は、パンクネスがはっきり意味があった頃ならまだしも今や権威主義的な(?)盲信と変わらないのではと思わざるをえない。単純に、努力や勤勉さが嫌いで生理的にそうしたものが受け入れ難いと切り捨ててしまうのも、それはそれで違和感が残るのだ。
  • (人)精神的に脆弱で何事にも完全に留まれない俺は、少なくとも答えが出ないことを分かっている事柄に対しても本気では停止していれないし、そうした矛盾をこそ愛すでも嫌うでもなく見つめていくべきなのだと思う。だから良く言えば視野を広げる努力、悪く言えば苦行に耐える不毛さをこそ大事にしていきたい。
  • (音)紙ジャケ再発効果か、このところ妙に安く売られている気がするハーパースビザール(リマスター/ボートラ入り/プラケース)のオリジナル4作を、以前持っていたものも含めて買いなおしたのだが、予想通り破綻なく美しく、これは一つのロック/ポップスにおける到達点だと大変感じ入り、不快になった。多分、やってる人達みんな偏執狂的に繊細だったりそれゆえ逆に暴力的だったりするんだろうなと予想でき、にも関らずちゃんとしたものが出来てしまうという結果がまた俺を苛立たせる。
  • (人)だからこそ個人的にはハーパースやA&M系ポップスなんかに学ぶべきものは趣味の範囲を超えて多いような気がする。(それはまた別の人にとっては全く違う何かなのだろう。)そして、何か/誰かを選んだり好きになったりすることが絶対的に出発点であるのだとしたら、そうしたどこにも属さない価値観を色々な人と尊重し合えるようになったらいいなと思ったりもする。